
松山時夫
本名 | 柳歳一(やなぎ としかず) |
変名 | 柳涼二 松山四郎 長谷義夫(オーゴン) 嶋秋雄 嶋秋児 青柳静夫(リーガル) |
生没 | 1910 - 1999.1.27 |
出身地 | 山口県小野田市 |
吹込み会社 | パーロホン オーゴン トンボ コロムビア(リーガル) |
東京音楽学校甲種師範科在学中の1932年(昭和7年)よりアルバイトでオーゴン・トンボ・パーロホンなどに吹込み。
昭和8年にパーロホンで吹き込んだ「片瀬波」が大ヒット。パーロホンがコロムビアに吸収合併されたあともリーガルレコードより再発売された。同年に学校卒業後は富山県立魚津中・高等女学校の音楽教師として赴任、
教師の傍ら昭和10年ごろまでコロムビア(リーガル)で数曲吹込みを行っていた。戦後は兵庫県の大学の教授や音楽団体の顧問などを歴任した。1999(平成11)年、気管支炎のため死去。
声質が松平晃と似ていたため「松山時夫」は彼の変名だと誤解されていた。実際、戦後に再発された片瀬波の歌手名が松平晃となっているものがある。
曲名 | 共演 | 作詞 | 作曲 | 番号 | 新譜年月 | 補足 |
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放浪歌 | 朝鮮民謡 | A-4333 | 1932 | |||
片瀬波 | 高橋菊太郎 | 池上敏夫 | E-2046B | 1933.04 |