ニットーレコードのあゆみ

1920(大正9)年大阪市に代表の白山善五郎・森下辰之助らにより設立。翌年3月第一回発売。義太夫など邦楽を主力とした展開が功を奏したが、昭和期に入って流行歌・洋楽分野への展開が遅れ業績は低迷。1935年にはドイツ原盤クリスタルレコードを発売した。
1935年7月に傘下の日本クリスタルと共に太平蓄音器が優位の経営統合を行い、日東蓄音器四十万、太平蓄音器二十万の出資により10月西宮に両社持ち株会社大日本蓄音器株式会社を設立。 以後タイヘイレコードをメインとしクリスタルは洋楽、ニットーレコードはサブレーベルとして存続する。

ニットーレコード(日東蓄音器)沿革

 
年月 出来事
1920.3.2 大阪府東成郡墨江村大字上住吉164に資本金50万円で設立。
1921.03 第一回新譜販売開始。
1935.07 太平蓄音器との経営統合により両社の持株会社大日本蓄音器設立。太平蓄音器・日東蓄音器は吸収され消滅。
1935.10 大日本蓄音器(タイヘイレコード)のサブレーベルとして存続。
1942.02 大日本蓄音器が戦時統合により大日本雄弁会講談社(キングレコード)に吸収され消滅、以後終戦までタイヘイ・ニットー新譜は中断となるも既発売分は販売存続。

アコースティック録音期

初期1921年からのアコースティック吹込み時代。レーベルの色によって価格が異なっている。昭和4年頃には一部で電気録音盤となる。

鳥の声 - 2109-B

大正期から昭和初期の赤盤。一枚一円四〇銭。

ウ井リアムテル - 1254-A

大正期から昭和初期の黒盤。主に器楽系の録音に用いられた。

しるこ屋 - 2809-B

大衆紫盤。一枚八十銭。

梅川忠兵衛(一) - 3162A

後期の紫盤。昭和3年頃に廃止。

吾妻八景(一) - 1424-A

最高級の特黒盤。少し青みがかかった艶紙レーベル。1枚二円五十銭。長唄などには録音日の記載がある。

新曲浦島(六) - 3044-B

後期の特黒盤。レーベルの紙質が変更されている。昭和3年4月30日吹込。

賤機帯(上)

オレンジ色の委託盤。番号なし。

ニットー長時間レコード - L1~

1926年10月より発売した線速度一定式長時間レコード。盤の円周に比例した再生速度となり、 片面10分以上の連続再生が可能であったものの、蓄音器に専用の速度調整器を取り付ける必要があったために普及せずに数年で廃止となった。

琴入 壷坂 - L21-A

赤盤。一枚二円五〇銭。

中期 -

1929年頃からの電気吹込み以降。一枚一円。

山陽線・四国めぐり - 3602-B

新赤盤。昭和4~10年の一般的なレーベルデザイン。数年後に廃止。

噫中村大尉 - 5425-A

新黒盤。昭和4~10年の一般的なレーベルデザイン。

街の鼻唄 - 普6781-A

昭和9、10年頃の標準盤規格の一部の盤に見られる普及盤。

最後の審判 - 5489-A

昭和10年頃のデザイン。写真の5489は重版盤。

10000

赤レーベル

秋田追分 - 10092-A

15000

高級青レーベル

松の緑(上)

大衆盤 - S1000

1936年以降に発売された。ニットー・タイヘイの再発売がほとんどだが一部新録音も確認される。

胡弓の調 - S1026-B

オリムピアレコード(OLYMPIA)

1933-4年頃に販売された。

舘山節 - 33-B

クリスタルレコード - 日本クリスタル合資会社

ニットーレコード洋楽部門の充実を図るため日東蓄音器の子会社として大阪市に設立。独逸クリスタルレコードと原盤のライセンス契約をし1935年1月新譜より販売開始。ジャズソングがメインの邦楽盤は同年7月の太平蓄との統合により消滅。

夕月見れば - 2010

1935年発売

フットボオルの試合を見たい - 1003-A

時計屋で - 1118-A

関西信託社歌 - M1480-A

昭和12年頃製作の委託盤。