昭和期戦前その他レコードレーベル
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パーロホン(パルロフォン) - 東京
東京のイリス商会が独逸カール・リンドストーム社の委託を受けパルロフォン部を設立、1829(昭和4年)4月新譜より第一回発売。昭和6年には日本オデオンを吸収。昭和8(1933)年8月、本国のカール会社が英コロンビア傘下であった都合上、競争を避けるためにレコード製作中止。原盤は日本コロムビアに引き継がれた。

草津節 - E 1065-A
初期のデザイン。

美はしの春 - E 2046-A
後期のデザイン

Dreamy Waikiki - E 5550-A
洋楽10インチ盤規格。
ニッポンレコード - 東京
昭和4年に創立。トンボ印ニッポンレコードを発売、昭和7年にオーゴンレコードとなる。

岩木山登山帰り - 4624
裏表連番になっているもの。委託盤か。

ニッポンレコード(NIPPON RECORD)
普通盤の初期のもの。

ニッポンレコード(NIPPN RECORD) - P7-B
昭和7年1月新譜より販売開始。従来のトンボ印から鳳凰印に変更したもの。

鳳凰レコード(HO-OH RECORD) - P7-B
昭和7年中期頃、名称変更、

鳳凰レコード(HO-OH RECORD) - K526
委託盤。

鳳凰レコード(HO-OH RECORD) - P1001A
委託盤。

トンボ印ニッポンレコードS - S107-A
7インチ盤、昭和3~7年頃の発売。オーゴン時代の昭和10年以後も再発売されている。

トンボ印ニッポンレコードS - S411-A
7インチ盤、赤いレーベル。
オーゴンレコード合資会社 - 東京
オーゴン蓄音器がニッポンレコードを買収して立ち上げたと思われる、昭和7年8月に改組。同年10月より第一回発売を開始。海老茶盤1円、黒盤80銭、青盤50銭。

オーゴンレコード
1932年10月より販売開始された通常盤。

オーゴンレコード
委託盤。レコード番号は裏表で連番になっている。

恤兵レコード選集第一輯
陸軍省の慰問用レコード。
オーゴンレコード株式会社 - 東京市滝野川区田端
昭和9年に株式会社に改組。経営不振の為昭和11年10月に解散。本社工場跡は昭和蓄音器を経てJOレコードが引き継いだ。

トンボレコード
トンボ印ニッポンの再発を含む。。

秋田おばこ - A7056-B
青レーベルは廉価盤で一枚50銭。

鴨緑江節 - A5056-B
昭和10年頃のデザイン。
合資会社エバナシトーキー社 - 東京市神田区神保町1-6
昭和11年3月第一回発売、代表栗田常吉。紙芝居用のレコードトーキーでオーゴン・東京レコードに製造を委託していたが、昭和12年よりショーチクに委託。昭和13年頃まで新譜を発行。

エバナシトーキー
昭和12年末まで新譜が確認されている。

エバナシトーキー表紙
レコードとセットで売られた紙芝居の汎用表紙。
昭和蓄音器株式会社 - 東京市滝野川区田端町1098
神田今村電気商会の今村久義が昭和11年11月、廃業したオーゴンレコードを事業継承し設立。サクラ・ビオン・ダイトーなど数種のレーベルに加えてミリオンレコード(昭和録音)の製造も行っていたが昭和12年末廃業。昭和13年9月、工場跡にはゼーオーレコードが設立された。

サクラレコード
3000番台。
ゼーオーレコード株式会社 - 東京市滝野川区田端1098
昭和13年9月、廃業した田端の昭和蓄音器・オーゴン工場跡地に志村二郎・南方康哉によってゼーオーレコードスタジオが設立。昭和14年5月に株式会社に改組。主に委託製造盤や教育レコードを製作していた。

ゼーオーレコード(JORECORD)
昭和14-5年頃の発売。
太陽蓄音器株式会社 - 東京 内幸町
昭和6年に元日本蓄音器商会社員らによって設立、翌昭和7年3月に第一回発売、経営不振により昭和9年に破産し、関連会社とされる「東京レコード製作所」に移管される。

太陽レコード
2000番台が主流、一枚80銭。

牧水調朗詠
蓄音器時代社による委託盤。昭和7-8年頃。
東京レコード製作所 - 東京
昭和9年夏に破産した太陽蓄音器の原盤を買い取り事業を引き継ぐ。レコード製造技術を持たない他社からの委託製造が主営業であったが昭和13年初頭廃業。

タイヨー
太陽レコードの再版盤。洋楽盤のラッキーと同じチューリップとデザインを使用。

ニュータイヨー
昭和9年。10000番台から始まる新太陽レーベル。発行所は初期が太陽蓄音器で後期は東京レコード製作所となる。

ヤヨイレコード
初期に見られる「弥生」の漢字入りデザイン。太陽レコードの再発売がほとんど。

ヤヨイレコード
後期のデザイン。商標が変更されている。1937年まで新譜が確認されている。
ラッキーレコード - 東京 齋藤商店(ラッキーレコード商会)
昭和9年に石綿輸入業の齋藤商店が米ARC社の傘下レーベル(ブランズウィック・パーフェクト・ヴォカリオン等)原盤の軽音楽レーベル「ラッキーレコード」の販売を開始し、業績は好調であったが翌昭和10年年秋には日本コロムビアに買収された。

ハッピーレコード
昭和10年ごろ販売された邦楽盤。

ポピュラーレコード
太陽レコード系の再発や新録音。昭和10年1月に発売が確認されている。

光明レコード
光明思想普及会の編修発行、生長の家の委託盤。
日本コンカー蓄音器 - 東京
昭和9年頃、東京レコード製作。

コンカーレコード(CONQUER)
委託盤製作の会社か。
日本グラマホンレコード商会 - 東京市神田区小川町
オーゴン、東京レコード(太陽)、ショーチクの各社に製造を委託し販売していた。

グラマホンレコード(GRAMOPHONE)
日本エジソンレコード株式会社 - 東京市京橋区京橋1‐2千代田証券ビル5F
昭和10年頃東京に設立された。個人吹込を主営業とし、他社に製造を委託。

エヂソンレコード(EDISON)
一般新譜、地球儀の商標。レーベルデザインはデッカレコードの模倣。

エヂソンレコード(EDISON)
黒レーベル。
日本P.C.L.レコード株式会社 - 東京赤羽
テイチク・タイヘイ文芸部長などを務めた片岡志行により昭和12年春に設立された。初夏に第一回発売するも数か月で東京蓄音器に改称。

P.C.L. RECORD
廉価企画である家庭奉仕盤。
東京蓄音器製作所 - 東京赤羽
日中戦争が始まった昭和12年夏PCLレコードを改称。東蓄レコードプロダクションとも表記されている。昭和13年末に廃業。

トーチクレコード(TOCHIKU)
昭和12年発売。一枚一円。

トーチクレコード(TOCHIKU)
一枚五十銭。

トーチクレコード(TOCHIKU)
昭和13年以降の発売。
合資会社日本トランス蓄音器商会 - 大阪市旭区今福町184-1
代表太田伊三郎。昭和9年頃、国歌・ショーチクレコード製作所に製造委託をし、トランスレコードを発行。

トランスレコード
10インチ盤60銭、8インチ盤、45銭で販売していたことが確認されている。
昭和レコード制作所 - 京都

ショーワレコード
昭和5年ごろ発足。9年にはショーチクレコードに社名変更した。一枚50銭。
ショーチクレコードスタジオ - 京都
昭和レコード製作所が社名変更したもの。昭和12年ごろには東京京橋にも事務所をかまえている。新興児童レコードなど主に外部からの委託受注製造が主営業だった。

ショーチクレコード
昭和9年末頃発足したレーベルで宣伝盤が50銭。パーロフォンのものを180度回転させた商標。委託製造を主営業としていた。

新ヒノマルレコード
昭和10~12年頃発売の8インチ盤。絵入りレーベルのもの。

シンヒノマルレコード(SHINHINOMARU)
昭和10~12年頃発売の8インチ盤。青レーベル。

晴風レコード
尺八演奏家の吉田晴風専用レーベル。昭和13年頃に東京晴風会が発行。

ショーチクレコード
6インチ盤

ショーチクレコード
6インチ盤
八尾楽器店(矢欧商店) - 東京市浅草区蔵前2-6
現富士通ゼネラルの創始者、八尾敬治郎が昭和10年頃自社蓄音器の販促としてレーベルを創設。原盤・製造をショーチク・国歌に委託。

精華レコード(SEIKWA)
ショーチク/国歌製が存在。

ノーマルレコード(NORMAL)
昭和10~12年頃発売
フクナガレコードプロダクション(F.R.P) - 京都

エトワールレコード
昭和9年ごろからのレーベル。エトワールはフランス語で星の意味。

テレフンケンレコード
昭和10年ごろから販売されたレーベル。キング洋楽と同じ独逸テレフンケンの商標を用いているが関係は不明。

テレフンケンレコード
特黒盤。昭和12年頃。

タヴァンレコード
昭和11年前後のレーベル。一心社発行。

マグナレコード(MAGNA)
昭和9年頃のレーベル。エトワール原盤。
国歌レコード製作所 / コッカレコード株式会社 - 大阪市東淀川区
大阪府豊能郡庄内村菰江332に大正4年8月創業したセルロイド加工・再製業の「国際セルロイド工業」のレコード部門から発展し。初期は割れにくい樹脂を原料とした小型レコードを発売。 通常新譜・個人吹込・製造委託を主営業とした。太平洋戦争中に廃業。

国歌レコード
昭和4年、初期のレーベルで6インチ

国歌レコード
電気吹込の表記があるもの。

コッカレコード5000
10インチ、昭和7-9年頃か。

コッカレコード8000
10インチ、昭和9-13年の間に使用された8000番台。

エイトレコード(EIGHT)
8インチレコード、昭和9年頃に販売された。

タカシマヤレコード
大阪高島屋からの委託製造盤で8インチ。

ダルマレコード
国歌初期の6インチレコードをレーベル変更したもの。

コーアレコード
東京興亜文化録音株式会社の委託製作盤。

ホームランレコード(HOMERUN)
再版盤。

グンカンレコード(WAR SHIP)
旧譜。
邦楽同好会 - 大阪
日東蓄音器専務であった森下辰之助が昭和7年に設立した会員制レコード頒布組織。会員には関西の政界・財界の大物が揃っていた。他社に委嘱せずに独自に録音製造を行っていた。

ほうがくレコード
裏表が連番になっている。
特許レコード製作所 - 兵庫 尼崎
酒井欽三によってて大正13年に設立。社名の通り特許・実用新案を数多く取得していた。蝶印の商標でボール紙を芯にした割れないレコードを主力商品とした。児童向けの内容(童謡・唱歌・児童劇)が多い。

バタフライレコード
6インチ(15センチ)盤。金鳥6インチ・タカシマヤ・シキシマレーベルと同一番号を使いまわしている。

タカシマヤレコード
大阪高島屋での販売用レーベルで6インチ盤。

バタフライレコード
前述の裏面で色違いになっている。

金鳥レコード
8インチ盤、

金鳥印特許レコード
10インチ盤、アコースティック録音。

BUTTERFLY児童レコード
8インチ盤、昭和10年頃。

ニッポン児童レコード
8インチ盤、昭和10年頃。ニッポン児童レコード製作所。

英語教育レコード
8インチ盤、東京日日新聞・大阪毎日新聞発行。

英語教育レコード
井上通信英語学校発行の8インチ盤、昭和5年前後か。
アサヒ蓄音器商会 - 名古屋
昭和10年以降は毎月新譜を中止している。

ツル印(赤)
アコースティック録音

ツル印(青)
5000~5970番台のデザイン。

ツルレコード(TSURU)
6000番台頃の濃紺レーベル。

ツルレコード(TSURU)
1000番台は宣伝盤(廉価盤)。昭和10年前後の発売。

ツルレコード
6インチ盤。

アサヒレコード(ASAHI)
奉仕盤表記のものがある。

アサヒレコード(ASAHI)
昭和12年。

サロンレコード(Salon)
500番台、昭和8-9年頃のサブレーベル。ツル印の再発。

サノサ節
委託盤特別レーベル

ドンドン節

サンデーレコード(Sunday)
昭和10年前後のサブレーベル。

ミカドレコード(MIKADO)

シスターレコード(SISTER)
昭和10年頃、シスター蓄音器商会発行。

コドモレコード
6インチの児童向けレーベルで、アコースティック吹込。三枚一組で販売された。
宮地楽器店 - 名古屋市東区駿河町2-29
代表宮地鉎造。蓄音器販売の販促としてフレンド(ショーチク製造)・八千代(アサヒ製造)を発行。

八千代レコード(YACHIYO)
アサヒ蓄音器製造。
中西商会 - 大阪市南区末吉橋2-1
関西蓄音器仲卸業の元締めであった中西商会は昭和9年頃より中小レコード会社(オーゴン・国歌・ショーチク)に製造委託し「センターレコード」を発行していた。 その後アサヒ蓄音器の経営権を握り、テイチク・ポリドールなど大手レコード会社の廃盤となった金属原盤を回収し再発売していた。

センターレコード
昭和9年頃の初期のレーベルデザイン。ショーチク製造。

センターレコード
後期のレーベルデザイン、ビクターレーベル洋楽を模倣している。昭和14年頃、他社原盤を再発売。
ニッポン蓄音器 - 奈良

ニッポンレコード
昭和13年ごろのレーベル。一部に太陽レコード原盤が混じる。
日本オデオン - 東京
独逸オデオンレコードの製造販売を目的として昭和5年に銀座に設立。3月新譜第一回発売、7月には邦楽の販売を開始するも翌年には撤退する。

オデオンレコード
昭和6年のレーベル。
日本フタミ蓄音器商会 - 東京市本所区江東橋
蓄音器類卸・小売売の養老堂フタミ商会が昭和7年頃より発売。原盤・製造はニッポン・オーゴン、商標は二見浦の夫婦岩。

フタミレコード
黒レーベル。六十銭

フタミレコード
赤レーベル。八十銭

フタミレコード
白レーベル。委託製造盤。